
時計愛好家なら誰でも当然のこととして知っているように、時計には2種類ある。クォーツ時計と「本物の」時計だ。次の教訓は、クォーツ危機という伝説に対するものであるが、それは時計愛好家の心に、「ロード・オブ・ザ・リング」ファンにとってのペレンノール野の合戦と同じ重要性を感じさせるものだ。疑いの余地のない善が完全な悪に立ち向かうが、善良なものには暗い結果が待ち受けており、そしていよいよこれまでかと味方が絶望した最後の瞬間に思いがけない勝利がもたらされる(絶望したときに現れた味方、つまりスウォッチによって)。【とにかく、そのような戦いでは、勝利をほろ苦いものにする悲しい犠牲を伴うのが常であり、そして、クォーツ危機やそれに続くメカニカル・ルネサンスでもそうであった。立派で歴史的に興味深い多くの企業が、単に消え去るか、または現在、より大きな国際的帝国の属国として(時には、誇り高い元の名前さえ保持することなく)のみ生きながらえている。
これはニバダにも当てはまる。ニバダという会社は、クォーツ以前の腕時計の世界では、国際的に知られていないにしても信頼できる企業の一つであった。この会社は、米国ではニバダ グレンヒェン、またはクロトンという名前でよく知られている。1960年代には、モバードとの間で、(モバードからすれば)名前が似通っているとしてひと悶着あったようだ。モバードは、これではどちらの会社であるか分かりづらく消費者を混乱させる可能性があると訴えた。訴訟にメリットがあるかどうかにかかわらず(私が見る限りでは、それぞれの名前に3つの音節があり、子音で始まり、母音で終わるため、一つの会社を別の会社と混同するような消費者は、それなりだろうが )、この訴えは法廷に持ち込まれたようである。そして、そのため、スイスのグレンヘンを拠点とするニバダは、ニバダ グレンヒェンとして知られるようになり、同社の時計には、米国におけるブランドのために設立された流通会社、クロトンの名前が使用されることもあった。
ヴィンテージのニバダ クロノマスターの広告 出典: Europastar、融通の利かない男性は着ける必要はない。
業界の激動により、いずれの名前にせよニバダは(ほとんどの場合)過去の名前となった。しかし、多くの消滅したブランドのように、それは愛好家に人気のコレクター向けヴィンテージブランドとしてセカンドライフ、あるいは少なくともアフターライフのようなものをもち続けている。また、ニバダの時計の価格が他の多くの時計のように桁外れに吊り上がったりしていないことも魅力となっている。
同社は現在、現代的なブランドとして復活している。デザインのインスピレーションに関しては輝かしい過去から直接受けているものの、それはこの場合は全く悪いことのようには思えない。ウブロ 時計 買取結局のところ、我々は会社の歴史上意味のないデザインと価格で復刻が試みられたヴィンテージブランドの例を数々見てきたが、砂州に宮殿を建てようとするよりも、堅固な土台の上に謙虚な家を建てた方が、おそらくはるかに賢いのではないだろうか。
ヴィンテージ ニバダ アンタークティックの広告 出典: Europastar。ヘイ、南極探検家さんよ、タバコを吸ってもカッコよくないぜ!
このブランドのスイスにおける天才的中心人物は、他ならぬギョーム・ラディト氏(Guillaume Laidet)であり、我々は以前、ここHODINKEEで、彼の名前を冠したブランド、ウィリアム エル 1985の創始者として、また最も最近では、2018年にセイコーのムーブメントを搭載した非常に魅力的な自動巻きクロノグラフを発表した際に紹介している。モントリシャール・グループとして知られる独立系スイス時計会社のオーナーであるレミ・シャンブル氏とのパートナーシップにより、2つのヴィンテージモデルを基にした時計でニバダを復刻させる計画が立てられた。
これらは、手巻きモデルまたは自動巻きモデルの両方が用意されたクロノマスター アビエイター シー ダイバーと、元々1958年の国際地球観測年(ジャガー・ルクルトが称えた「地球観測年」と同じ)に併せて開発されたアンタークティックである。オリジナルのアンタークティックは、アメリカ海軍のディープ・フリーズ作戦の一環として南極に行ったが、これは、南極に人間が常駐するという始まりを示すものであった(当然のことながら、南極遠征でその存在を宣伝するニバダの広告キャンペーンの始まりでもあった)。
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